M@siのパワプロ高校

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パワプロ2020 福間納(1985)

阪神の稲尾に迫る登板記録を残した福間納選手です。

 

ではご尊顔


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いい笑顔

 

では能力



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【寸評】

阪神に移籍すると主に中継ぎ投手として活躍。1981年はワンポイントを中心に35試合に登板。1982年は63試合に登板、プロ初勝利を挙げる。1983年に最優秀防御率を獲得。1984年にシーズン77試合登板のセ・リーグ記録(当時)を達成。同年は阪神が105試合を消化した時点で68試合に登板するハイペースで稲尾和久が持っていたシーズン登板記録(78試合)に迫り、記録を破るかどうかが注目された。このとき、プロ野球記録の調査研究で知られた宇佐美徹也は当時監督の安藤統男に手紙を書き「稲尾の記録は400イニング以上投げて作られた中身のある記録。中継ぎの登板で形だけの記録更新は考え直してほしい」と訴えた。この手紙が功を奏したかは不明であるが、結局福間の登板記録は稲尾より1試合少ない77試合となった。宇佐美は後に「この年より登板数が少なくても、優勝に貢献した翌年の方がはるかに実のあるシーズンだった」と記している。

1985年の優勝にも大きく貢献した。同年の西武との日本シリーズでは第4戦の9回2死二塁の場面で西岡良洋に勝ち越しの2ランホームランを打たれて敗戦投手となったが、当時監督だった吉田義男は翌日の第5戦でも福間を起用、4回1死満塁のピンチで西岡をぴしゃりと遊ゴロ併殺打に抑えて勝ち投手となった。同じような場面での起用について吉田は「もう一度チャンスを与えてやりたかった」とコメントしている。失敗しても次の試合にすぐ名誉挽回のチャンスを与え選手に自信を付けさせるという(特に投手に多かった)当時の吉田采配の特徴の一つであった。同じようなケースで5月19日の後楽園球場での対巨人戦で原辰徳サヨナラホームランを打たれたが、その次の日の試合で1点リードながら原に打席が回る可能性を残した場面で吉田は福間を起用、福間に「ここで逃げたら、おマンマの食い上げやぞ」と指導し、原をライトフライに打ち取った。一方、トレード相手の深沢もロッテで先発投手として2桁勝利を挙げるなど活躍したため、「成功したトレード」の例としてもよく語られた。1990年に引退。

 

 

 

ここまでwikiのコピペ

【能力】

特にない!!

 

【感想】

雑くてごめんなさい